両親の影響

我が家は、そもそも親が発達障害者同士だったのだろう、と推測する。
日常生活に支障はないが、「今思えば・・・」ということが、多々あった。

母は「神経症のくせに掃除が下手」という、矛盾の持ち主。
片付けはできても収納下手で、失くし物は日常茶飯事。出掛けに鍵を探さない日はない。
置く場所を定めても、忘れてルールを守れないから意味がなかった。

父は「コミュニケーションが苦手な人」で、言葉よりも手足のほうが先に出る。
人に何かを頼むときは、単語のみを口にした。
「塩!」と言えば、「おい、塩を持ってきてくれ」という意味。
「タバコ!」は、「タバコと灰皿、ライターも一緒に持ってきてくれ」。

こういう環境で育つと、子供はどうなるか。

①収納のノウハウや、片付け・掃除のノウハウが身につかない
②人に物を頼むときの頼み方や、お願いするときのお願いの仕方が、まったく身につかない

親のせいにするつもりはないが、見て学べない上に教えてもらえないと、実際そうなる。

二人に共通していたことは、良くも悪くも「自分のことは自分でしなさい」。
できても、できなくても、自己責任で日々を過ごすために「あれ?この子、これできないんじゃないかしら?」と疑われることもなく、すくすく育ってしまった。

そして、相当に偏りのある脳みそが仕上がった。
アスペルガー症候群のチェックリストを行ってみると、該当する項目が多すぎて、疑う余地がなかった。

私は、視機能に問題があって発達障害が起きているという自覚がある。視機能に問題があるということは、脳に何らかの機能不全があるとも疑っている。
しかし、同時に「家庭内で、見て学んで育つべき機能」が、見て学んでないから育っていない、という発育不全の自覚もある。

環境は大事だ。脳が混乱せずに、スムーズに動けるための誘導。
仮に空想癖があれば、現実には見ていなくても、視機能を使う。視力と普段の思考の癖は、無関係ではない。

今からでも遅くない。
できるだけ「正しい場所」に身を置いて、学べるものは学び、治せるものは治したいと思う。