感覚過敏

原始的な体を持ち合わせているらしく、私の五感は人より鋭敏である。
視覚過敏、聴覚過敏、嗅覚過敏、味覚過敏、触覚過敏。

まず嗅覚。
香遊び(5つの香炉で焚かれた香木の匂いを聞き分け、どれとどれが同じか当てるという遊び)は、かすかな香りの違いに気づくことができる。

鼻が良すぎて「嫌いな臭い、苦手な臭い」も多い。
電車やバスで、隣の人のコートの素材の臭いでも具合が悪くなる始末。

次に聴覚。
ピアノの音がうるさい、足音がうるさい、ヘッドホンの音漏れがうるさい。
ブラウン管の電源が入っていると、2Mくらい離れていても電波に気づくことが出来る。

「うるさい」がエスカレートすると、当然のごとく「怒り」になる。
それゆえ聴覚過敏は、コミュニケーション能力にも影響するので困り者である。

味覚過敏は化学調味料が入った食べ物を口に出来なくなるし、触覚過敏は「ふれあい」すら拒んでしまう。
生きるための防衛本能が働いているだけだから、正常といえば正常なのだが、この世を生きるには少々鈍感なほうが「正常」らしい。

そして視覚過敏。
誌面や画面の情報量が無駄に多いものに対して、拒絶反応が起きる。
レイアウトが下手な資料は、読むことが出来ない。

逆に、誰もが読みやすい資料を見極めるのは、得意中の得意である。
「私がストレス無く読める(見れる)もの = ユニバーサルデザイン」と考えていいほど、ストライクゾーンが狭い。

長所として活かせる部分は活かしたいが、過敏すぎて不便な部分は、多少鈍感になるくらいでいい。

体の不調が問題なのか、ものごとの受け取り方が問題なのか。
どこかが治ることで、感覚にも変化が出るのだろうか。

「集中できない」から「気が散る」。
このメカニズムに変化が生じなければ、永遠に感覚過敏と付き合い続けることになるだろう。